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東京高等裁判所 昭和29年(行ナ)21号 判決 1956年9月22日

原告 境野実

被告 特許庁長官

主文

昭和二十八年抗告審判第一一七号事件について、特許庁が昭和二十九年三月一日になした審決を取り消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一、請求の趣旨

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めると申し立てた。

第二、請求の原因

原告代理人は、請求の原因として、次のように述べた。

一、原告は、昭和二十七年六月十二日別紙掲載のように、「ユタカ」の文字を楷書体で左横書にして構成されている商標について、第四十五類味噌を指定商品として登録を出願したところ(昭和二十七年商標登録願第一五〇三四号事件)、拒絶査定を受けたので、昭和二十八年一月十九日右査定に対し、抗告審判を請求したが(昭和二十八年抗告審判第一一七号事件)、特許庁は昭和二十九年三月一日原告の抗告審判の請求は成り立たない旨の審決をなし、その謄本は、同月十三日原告に送達された。

二、審決は、別紙に記載する登録第七六〇六一号商標を引用し、その理由において、右引用商標は、円廓内に「豊」の漢字を楷書体で縦書して成るが、その円廓は単なる円輪廓の程度にしか構成されていないから、その組合せは取引の実際に照し一体不可分の結合であるとは認められないゆえに「マルユタカ」の称呼も一応は生ずるとしても単に「ユタカ」とも称呼するものであると言わざるを得ない。原告の出願商標と引用商標とは外観の差異があるとしても、「ユタカ」の称呼を同一にし、観念も又相紛れる恐れがあり、本願商標は商標法第二条第一項第九号に該当し登録は拒否すべきものであるとしている。

三、しかしながら審決は次の理由により不当である。即ち商標の類否判定の基準たるべき称呼及び観念は、その商標自体から自然に発生する無理のないものであるべきであつて、単なる机上の空論により決定すべきものではない。引用登録商標の構成上「マル」の称呼を除外しては右商標の本旨を没却することとなるのであつて、右商標の呼び名を強いて表わせば、「マルトヨ」「マルユタカ」「マルホウ」の三通りとなるが、右商標に限りその発生原因から考えて、「マルトヨ」と呼ぶのが最も自然である。何となれば右商標の登録出願当初からの権利者であつた丸豊合資会社の呼び名は「マルトヨ合資会社」であつて、(この呼び名が自然であることは、同会社の所在地なる愛知県半田市の隣に武豊なる町があり、同町の呼び名が「タケトヨ」であつて「タケユタカ」又は「タケホウ」でないことにより明らかである。尚国語の正しい読み方から言つて、右商標の豊の字は、これを「トヨ」と読むべきであつて、「ユタカ」と読むのが誤りであることは、前記の「武豊」を「タケトヨ」、「豊橋」を「トヨハシ」、「豊川」を「トヨカワ」、「豊吉」を「トヨキチ」、「一豊」を「カズトヨ」、「豊国」を「トヨクニ」と読むのが一般の常識であることによつても明らかである。たまたま人名等で豊の文字を「ユタカ」と読むことがないではないけれども、それは極めて異例に属する。)引用商標は右会社の略称「丸豊」を取つて〈豊〉として登録したものであり、以上の由来から見ればその称呼は「マルトヨ」とするのが正当であつて、「マルユタカ」又は「ユタカ」等のこじつけた呼び名が生ずることは絶対にあり得ないからである。抑々一般に円廓的記号商標では円廓は単なる輪廓ではなく、商標構成上必要欠くべからざる要部をなし、之を看過することは許すべからざるところである。従つてこのような商標の称呼は円輪廓とその内部の文字を不可分一体のものと観察して円輪廓を読み込むのが自然であつて、特段の理由がない限り輪廓を無視し文字のみに着眼して称呼を決すべきではない。引用商標はゴジツク体に表わされた「豊」の文字を之と同太の円輪で囲み、両者が極めて程良く調和を保ち、何人も之を一見して両者が一体不可分のものと観察し得るように構成された記号的商標であり、之より自然に生ずる称呼は「マルトヨ」が正しく、それはその称呼が例えば〈越〉が「マルコシ」、〈金〉が「マルキン」、〈大〉が「ダイマル」、〈善〉が「マルゼン」、〈紅〉が「マルベニ」であるように、業者の暖簾をも表象しているからである。

然るに原審が独断的に引用商標を強いて「ユタカ」とか「マルユタカ」とか称呼しようとして、同商標では豊の文字が極めて顕著に描出されていて之を囲む円廓は単なる円輪廓の程度にしか構成されておらず、両者の組合せが取引の実際に照らし一体不可分の結合とは認められないとしているのは、甚だしい認識不足に基くものであつて、通常の心理を以てすれば円形輪廓と豊の文字の組合せ上の両者の比率は対等であること疑ないのに、審決のように強いて輪廓を軽視し豊の文字を強調するのは正当ではない。もし審決の言うように引用商標が「トヨ」又は「ユタカ」であるとすれば、前記の百貨店三越の商標〈越〉は「マルコシ」と言わず、単に「コシ」と読んでも良い訳であつて、折角の著名商標が何にもならず取引の実情に即しない結果となる。畢竟本願商標と審決の引用商標とは外観、称呼、観念共に相類似していないのに、審決が本件商標登録出願が商標法第二条第一項第九号に該当するものとして、これを拒絶すべきものとしたのは違法である。

第三、被告の答弁

被告指定代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、原告主張の請求原因に対し、次のように述べた。

一、原告主張の請求原因一及び二の事実を認める。

二、同三の主張は、これを否認する。

審決引用の登録商標では、その円形輪廓の線の幅と文字を構成する各線の肉とを比較すれば、文字の方が肉太に表わされてあることが認められるから、文字の方が右商標の主要部分を構成し、円形輪廓は何等特殊のものでなく単なる普通の輪廓にすぎず、而も文字と輪廓とは分離可能がちの態様に構成されているものと認められ、従つて中央の「豊」の文字が極めて顕著に表わされており、一見看者の注意を惹き易く、簡易迅速を貴ぶ取引社会ではこの最も注意を惹き易い部分を捕えて取引上の称呼とするものと解するのが取引の実情に即したものであることが明らかであり、この最も注意を惹き易い部分なる「豊」の文字から簡明に「ユタカ」の称呼が生ずるのは取引の自然であつて、審決が右商標から「ユタカ」の称呼が生ずるものとしたのは決して不当ではない。原告主張通り引用商標の最初の商標権者が丸豊合資会社であつて、同会社が「マルトヨ」と略称せられ、この略称から〈豊〉の記号をその商標としたものであることは認めるけれども、商標の称呼は商標権者の同商標採択理由により掣肘を受けるものではなく、商標登録出願の審査に当つてはその商標自体の構成態様からその称呼及び観念を見出すべきであるから、右当初の商標権者の右商標の採択理由を根拠として、引用商標の称呼観念が「ユタカ」でないとする原告の主張は理由がない。尚原告の引用する百貨店三越の商標〈越〉と審決引用の登録商標とはその構成態様上格段の相違があり、又その取引者需要者間に於ける周知さに於ても同一に律することができないから右商標〈越〉の称呼が「マルコシ」であつて「コシ」でないと言うことを理由とする原告の主張は失当である。

第四、証拠〈省略〉

理由

一、原告主張の請求原因一及び二の事実は、当事者間に争のないところである。

二、右当事者間に争のない事実と、その成立に争のない乙第一号証、甲第四号証とを総合すれば、原告が登録を出願した本件商標は、別紙掲載のように「ユタカ」の文字を楷書体で左横書にして構成され、第四十五類味噌を指定商品とするものであり、また審決が引用した登録第七六〇六一号商標は、別紙掲載のように「豊」の文字を楷書体で記載し、これを円形の輪廓で囲んで構成され、旧四十五類、味噌越幾斯類を指定商品として、大正四年十一月二十五日登録、昭和十年一月二十五日更新登録がなされたものであることを認めることができる。

よつて右両商標が、審決の判定したように、類似するものであるかどうかについて判断するに、両者がその外観において、類似するものでないことは論がない。

称呼についてみるに、前者からは「ゆたか」まれには「かたゆ」という称呼が生ずる。後者は単にその構成だけからみれば、「まるとよ」、「まるほう」、「まるゆたか」、「とよ」、「ほう」、「ゆたか」等の称呼が生ずることが考えられる。しかしながら商標は、商品の取引において、その出所を指示し、または品質を保証することにより、商標権者及び一般の取引者、需要者を、その混同誤認から生ずる損失と危険とから衛ろうとするものに外ならないから、その類否の判定も、単にその構成から観念的に考えられる一切の称呼、観念等によるべきではなく、その商品の取引を中心として考察し、同取引において自然に発生すべき称呼観念等により、果して前述の損失と危険とが生ずべき虞があるかどうかによつて決すべきものと解するを相当とする。いまこの見地に立つて、右引用登録商標をみるに、前記乙第一号証、甲第四号証並びにその成立に争のない甲第一、二号証及び甲第十一、十二号証を総合すれば、右商標は、当初愛知県知多郡半田町訴外丸豊合資会社の出願に基いて登録され、その後右会社の合併、商号変更等により、現在半田市亀甲富株式会社の権利に属するものであるが、右商標は、商標権者においてはもとより、その営業所の存在する半田市にあつては、大正年間から今日まで数十年間にわたり、常に「まるとよ」の称呼を以て、呼び慣わせられ、これをそれ以外の呼び方たとえば「ゆたか」等と指称するものがないことが認められる。もとより商標の取引上自然に生ずる称呼が、必ずしも商標権者の予期し、みずから使用するもののみに限られるものでないことはいうまでもないが、右商標の指定商品である味噌等が、比較的その生産される地方と関連して取引される商品であり(例えば信州味噌、佐渡味噌等)、かつ半田市の近くには武豊町、豊橋市、豊川等いずれも豊の字を「とよ」と読む著名な地名の存すること等を併せ考えれば、右商標は、一般の取引においても、右商標権者自身及びその営業所所在地の半田市において通常呼び慣わされている「まるとよ」或いは前記地名から来る「とよ」印の称呼を以て指称されるものと解するのが自然であつて、少なくとも、これを審決が認定したように、「まるゆたか」または「ゆたか」印と指称することは、たとい稀にはあり得ても、極めて異例に属し、商標の類否の判定にあたつては、これをしばらく度外視しても、前述の商標の機能を著しく損うものとは解されない。

してみれば、右両商標は、その称呼において類似するものとはいいがたく、またその観念においても、すでに称呼についてみたと同様、右商標によりその指定商品を取引する人々は、引用登録商標を、当初の商標権者丸豊合資会社、あるいは近くの著名な地名武豊町、豊橋市、豊川等に関連せしめて理解し、記憶することがあつても、あえてこれから「豊富さ」「ゆたかさ」にまで推し及ぼして理解し、記憶することは、これまた極めて稀であつて、これがために両商標が類似するものとするに足りない。

以上の理由により、右両商標は互に類似するものとはいい得ないから、審決が右登録商標を引用し、原告の商標は、商標法第二条第一項第九号により登録を拒否すべきものとなしたのは違法であつて、取消を免れない。

よつて原告の請求を認容し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のように判決した。

(裁判官 原増司 高井常太郎 菅野次郎)

(別紙省略)

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